紆余曲折

いろいろあった。

フランクリンバッヂ

 wikipedia同様、独自研究多め。

 

 今週は火曜に仕事上の締め切り日があり、月・火曜にたっぷり残業したので残りの3日間は抜け殻のようになっていた。頭もロクに働かないので、ちょくちょくtogetterを見ながら世の中のホットな話題とその議論(大抵は水掛け論だが)を読んでいた。

 巷では痴漢対策に「安全ピンを持つ」という機運が高まったり高まらなかったりしているらしい。痴漢されたら安全ピンを刺して懲らしめてやれ、という漫画が元となっているようで、togetterにもいくつかまとめられていた。「痴漢には人権なんてないから刺して良い」という過激な主張も見られたが、残念ながら犯罪者にも人権はある。目には目を理論は法治国家では許されてはいない。

 「痴漢をする男たちが悪い」という主語が大きい主張や「冤罪で無実の人に刺したら傷害罪になる」という冤罪を盾にする意見があり、最終的には「男を許さない女vs冤罪気にするマン」といういつもの痴漢論争に帰着していた。この手の論争を読むと、お互い手を取り合って「痴漢を減らす」という共通のソリューションを導き出せばいいのに、と思ってしまう。

 元の漫画は「声を上げられないならそれ(安全ピン)で刺しな」という流れであるが、そもそも声を上げられないような人がピンで人を刺すことなんてできるのだろうか。日常的に暴力に触れていない人は他人に危害を加えることなんてできないし、声を上げられないほど体が硬直していたら針を取り出して手に刺すなんて不可能だろう。あくまで安全ピンは「勇気の印」で、反撃の意思表示みたいなものだとぼくは解釈している。安全ピンを持つだけで声が出るようになるならば、持つに越したことは無い。

 安全ピン所持に賛成の人の99%は、実際にピンを人に刺すことはしないだろう。そういった意味では「冤罪になった場合はどうする」なんて意見は本題から少し外れている。安全ピン運動の本質は、反撃の手段が欲しいのでは無く意思表示の手段が欲しいだけであろう。原爆が外交の手段になっているように。

 実際に安全ピンで刺した場合は、痴漢と同じステージに立つことになる。そのときは痴漢共々、法で裁かれれば良い。

 

 この安全ピン絡みのまとめで面白かった流れを一つ。

「この前電車の中で急に女性が急にうずくまって周りの人が手を貸していたけど、動いたのは私を含めみんな女性だった。男は見て見ぬふりで何もしてくれなかった。男って本当クソ。」

「手を貸したら安全ピンで刺されるからね。」

エッジが効いてるなぁ。

 

 ちなみにぼくが20歳くらいの頃は「冤罪がまかり通る世の中なんて酷い」と思っていて、「冤罪になった場合はどうする」という意見を根底に抱いて女性(と思われる)の男叩きに憤りを感じていた。そんな中、「男叩きは女の娯楽」というコメントを読んで娯楽なら仕方ないなぁと思うようになった。金言である。