紆余曲折

いろいろあった。

着地

 無事に会社との面談が終わった。「面談」というか今後の事務連絡がメインだったので「面会」の方が表現としては近い。結論から言うと、会社にはまだまだお世話になりそうである。規模が大きいと懐も深いようである。

「厳しいことを言います」という前置きから面会は始まったのだが、内容自体は温情に溢れていた。おそらく今回会社が一番伝えたかったであろうことは「希望通りの配属は叶わない」という条件である。この旨の言葉を何度も聞かされた。

既に同期は仮配属が終わっており、配属面談を受けてないぼくは所謂「余り物」の席しか残っていないとのことだった。元々就活をしていた時点で希望通りの配属になるとは微塵も思っていなかった上、特段やりたいことも無かったのでこの条件で構わなかった。ちなみに一番仲が良い同期の配属先は全く希望していないところだったらしい。ぼくとあまり変わらないのではないか。

また、理系として採用しているため、文系のスタッフ職や営業企画職に回すことは無いとも告げられた。そもそもこんな人間を営業に回すのも会社の恥だろうし、頭のいい人事部の方々はそんな愚策は取らないだろう。

 

 面会は人事部の採用部門の部長と、労働者部門の部長とその部下の方々と行った。部長2人と顔を突き合わせるのはなかなか無い経験だろう。部長のうち1人は50歳くらいの女性で、笑顔が素敵な上流階級のマダムを絵に描いたような人である。

この方とは失踪前の面談でも会っており、酷く心配してもらった。ぼくとほぼ同年齢の子供がいらっしゃるようで、その子とぼくが重なって見えたのかもしれない。今日の面会でも開口一番で「また会えて良かった」と笑顔で仰ってくれた。その後すぐにもう一人の部長から「まずは事務連絡から」と言われていたので、本心に近かったのだろうか。社交辞令であれ、家族以外に身の心配をしてもらったことは無いので少し心が温かくなった。

 

 宙ぶらりんの状態で2週間ほど過ごしていたが、無事に着地することができた。とりあえず元の人生のレールに戻ったという感じである。周りはもう出発してしまっているのだが。まぁ遅れはそのうち取り戻せるだろう。そこまで悲観することもない。

一番驚いたことは吃音症が会社にバレたのに、それに何も触れられなかったことである。ぼくが読んだネットの書き込みには、自称人事部の人間の「吃音の人間は雇いません」や「会社が把握した時点で何かしらの理由で辞めてもらう」というものがちらほら見られた。ある程度これらの書き込みを信じていたのだが、どうやら世間は違うようである。試用期間で問題行動を起こした人間のクビを切るのは簡単だろうから。

ネットの情報をはじめ、あらゆる情報には疑ってかかっているのだがこと吃音に関してはガードが甘いような気がする。というのも情報の絶対量が少ない上に、この障害に関して酷くコンプレックスを抱いているからである。弱い人間は何にでも縋るものだ。長生きしたい中高年が水素水にハマるように、オタクが声優の純潔を信じるように。

まずはコンプレックスの解消から少しずつ取り組みたい。複雑に絡まりあったイヤホンを直していくような作業である。もっと強い人間になりたいものだ。

幕間③

 ここ数日間、何にも追われずに過ごしていた。会社とは来週面談があるのでそこで今後のことは決まるのだが、その日まで本当に何もやることがない。こんなことは人生で初めてである。

今までは研究やら育児やら、何かしらやることはあった。モラトリアムと言われる大学の学部時代も、日々の糧を得るためのバイトや大学の勉強でなんだかんだ空白は埋まっていた。やるべきことが無い日々に憧れてはいたが、いざ実現してみると暇で暇で仕方がない。ニート適性はぼくには無かった。

幸い、両腕を骨折していた期間にやる予定だった部屋の掃除やゴミの処理が片付いていなかった。今後がどう転んでも実家からは離れるので、今週はこの事後処理をしていた。売却のために従弟や妻が整理していた漫画は、段ボール12箱ほどになった。こちらは2日前に集配してもらって現在査定中である。

ゲームも売れそうなものは全部売った。といっても最新のゲームはスプラトゥーン2くらいしか無く、他は何年も前に買ったPS33DSのゲームである。スプラトゥーン2を除くと、一番高かったのはぷよぷよテトリスだった。ソフトだけで総額は1万は超えていたので驚きである。ゴミにも需要はあるもんだ。

 

 こっちに戻ってからというもの、知人は1人しか会っていない。知人の多くはもう地元に残っていないということと、この最初にあった人間と当たり障りのない会話しかできなかったのが理由である。しばらくは一人でボーっとしようと思った。

ご飯を奢ってくれた友人には事の経緯を説明した。彼から返ってきたのは「どの仕事も辛いよ」である。ぼくはまだ仕事をしていない。自己嫌悪に苛まれて逃げ出したのである。多分この感覚は理解してもらえないだろうし、それで構わない。ただ彼が言葉を選びながら話しかけてくる様を見るのは心にきた。ぼくは同情される側になったのか。

彼は農学部の出身で、「農業でもやろうかなぁ」と言うと「お前には向いてない」と即答された。根拠を全く示さなかったから少しムッとなったが、暗に農業はやめとけということなのだろうか。もともとマウントを取りがちな知人なので、真意はつかめない。結局話は近況報告だけで終わり、解散となった。相手が気を遣ってくれていたのかわからないが、終始当たり障りのない会話で何も得るものはなかった。

 

 妻からはずっと「好きなようにしたらいいよ」と言われている。Webで調べると夫の失踪は離婚案件なのだが、その気は全くないらしい。それどころか資金集めのために内職を始めたという。社会人になってから知り合っていたら別れられてた気がする。学生時代に知り合ってよかった。

娘はというと、すくすく育ちもう生後4か月である。送られくる写真を見ると、赤ちゃんの顔から子供の顔へと変態していた。意志を持った目をしており、今にも何か話しだしそうである。次に会うのはいつになるかわからないが、心待ちにしている。昔と違って今は遠く離れていても子供の成長を見ることはできる。いい時代だ。

幕間②

 実家に帰ってきた。映画でも見て昼過ぎに帰ろうと思っていたが、妻から実母が興奮状態になっていると聞いて起床後すぐに帰った。実母は泣いていた。初めて親の泣いている姿を見た気がする。

「全然知らなくてごめん」と最初に言われたが、隠してたんだからわかるわけないだろう。知能指数はぼくの方が高いんだ。ぼくが隠そうと思ったら、いくら母親とはいえ超能力でも使わない限りわからないだろう。自分を責めている実母は見るだけで痛々しかった。

実母は小学校の教諭である。しかも特別支援学級の。自身の子供の悩みをわかってやれなかったのは、母親としても教師としても自分を許せなかったのだろう。なんだか申し訳ないことをしたなぁ。

 

 警察から事情聴取を受けていた中学の友人とも話した。流石10年以上付き合いのある友人である。ぼくが文系に進まなかったのを昔から疑問に思っていたらしい。知能のある人間は本質を見ているものだ。ハニートラップにも引っかから無さそうだ。いやそういうのに免疫無さそうだから逆に引っかかるのか。

その後は会社からの言伝を親から聞いていた。とりあえず今週いっぱいは休んでいいらしい。配属もぼくの希望通りのところにしてくれるそうだ。なんでそんなに良くしてくれるんだ。本当に謎過ぎる。ぼくが聞いていた「企業」は利益の出ない社員はすぐクビにするはずなのだが。

吃音に配慮してくれ、さらにこの温情である。完全に辞める気でいたのだがちょっと揺らいでしまった。幸い、来週の頭に返事をすればいいとのことなので少し考えてみることにした。

 

 会社や世話をかけた友人からは特に文句は言われなかった。人間の持つ知性の奥深さに触れた。一方、義両親は気を悪くしていたらしい。直接的に迷惑をかけたわけでは無いが実の娘である妻に心労をかけた挙句、仕事を放棄するという妻子を持つ大人としてあるまじき行為に憤りを感じたらしい。ごもっともである。

思っていたよりも周囲の人との関わり方が変わっていない。長い付き合いのある友人は障害をある程度理解していたし、それもそうか。なんだか随分と長く一人相撲を取っていた気がする。夕方に電話した妻からは頭はいいけど馬鹿と言われた。確かに馬鹿なのかもしれない。もっと賢く生きたいものだ。

幕間①

 普通の人間を目指した物語は終わるとして、吃音を受け入れることに努めてみようと自分の中で折り合いをつけた。その決断に丸2日くらいかかった。

ぼくが自分探しに放浪している間、なんと警察沙汰になっていたらしい。最後に会った北海道の友人から「事情聴取されましたよ」とダイレクトメールを受け、思わず笑ってしまった。この国は2日人間がいなくなるだけで事件になるのか。

中学の友人にも連絡がいっていたらしく、なんだか申し訳なくなってしまった。1週間ほどで実家に戻ると書置きすれば良かった。妻からは「遺書が見つかったのよ」と言われたが、それは捨てたはずである。マンションの外部のゴミ箱からわざわざ袋を漁ったのだろうか。申し訳なさ過ぎる。

 

 さて、この2日何をしていたかというと、専ら散歩していた。行く当ても無かったので海でも見ようと心に決めて、海に向かって歩いていた。考えをまとめたかったので途中で手帳を買い、波のさざめきを聞きながら心の声を文章に直していた。

中途半端に頭が良かったせいで地元のエリートコースを歩むことになったのが、悲しみの始まりだった。組織のブレーンとなる人間には、必ず説明責任が付きまとう。研究やプロジェクト、コンサルティング。高度な技術や思考を要したものには、必ずそれを考えた人間の説明が必要である。そして説明とは人前でのプレゼンテーションであり、我々吃音者が最も苦手とするものである。

ぼくは進学した先にそれが待ち構えていることを頭の中では理解していた。そしてきっと発表が全く成功しないことも。しかし人間とは悲しい生き物で、一縷の望みにすがりながら生きているものである。「小児吃音者の7割は大人になれば治る」というある本の甘言を信じて、ぼくは進学コースを歩んでいった。

結果はご存知の通り治らなかった。治らない3割の中に組み込まれてしまったのである。それでも普通の人間のように生きていきたかった。学部4年のときに就活するか院へ進学するかの選択肢があったのだが、文系就職はあまりにも面接回数が多かったので院に逃げた。100%失敗すると思っていた就活も、研究のプレゼンだけで、しかも面接官はたったの2人相手だったので成功してしまった。しかも2社目で。

とりあえず大企業の雰囲気だけでも見てみようということで、内定を承諾した。ここで蹴っていたら一生後悔するかもしれないという思いもあった。何故ならぼくが大企業に採用されるのは、新卒の切符が無い限り不可能だからである。

 

 失踪する前日、企業側には事情を説明して退職を申し出たのだが断られてしまった。「こっちで君にあった職場を用意する」と言われ、さらには「研修が嫌なら行かないでいいように取り計らう」とも言われた。2ちゃんねるブラック企業ランキングに載っていた企業なのだが、どう考えてもホワイト企業である。

吃音を隠して入社した申し訳なさと、親切にされることに慣れてなかったので頭はこんがらがっていた。とにかくその場から逃げるために「明日は出社します」と嘘をついてしまった。相談に乗ってくれた担当の人には本当に申し訳ないことをした。土下座したい。

多分もう御社はぼくの母校から推薦で募集することは無いだろう。だが、それに関しては申し訳ないとも思わない。推薦者を審査しないのが悪いのだ。吃音者に推薦なんてあげるものでは無い。

内定が決まった頃、吃音者のぼくでも就活は乗り切ったのに、無い内定の人たちは何をしているんだろうと思ったことがあった。本当に何をしていたんだ。その話す能力を分けてほしいくらいだった。ぼくの研究室同期、お前だお前。

 

 今ブログを書いている最中に知ったのだが、捜索願が出ていたらしく、ぼくの想像以上に大事になっていた。何故だ。書置きなんてするものじゃなかったのか。失踪マニュアルを警察が出版してくれればいいのに。

捜索される側としては、そんなに探されたと聞くとめちゃくちゃ申し訳なかった。メンヘラなら喜んでこの騒動を受け入れるのだろうが、ぼくには無理だ。各方面に土下座したい。とりあえず、友人たちには粗品を送ろう。TENGAでいいかな。

ちなみに放浪生活はなかなかぼくの性に合っていなかった。夜はネカフェに泊まったのだが、身長が高いので満足に足を伸ばせなかった。貧乏性なので飯を食うのも節約して牛丼ばかり食べていた。しかも並盛。その上、結局言い易いメニューを注文していた。吃音を受け入れるとはなんだったのか。やれやれ、次の物語も長く続きそうだ。

おわりに

 吃音症というものをご存知だろうか。100人に1人の割合くらいでいるらしいので、多くの人は吃音を患った人に出会ったことがあると思う。少なくとも、ぼくの友人は皆出会っている。ぼくが吃音症であるからである。

Wikipediaによると、吃音症とは「言葉が円滑に話せない疾病、または障害である」とある。まさにその通りで、言葉を円滑に話せない。不治であるためぼくは障害と言った方が適切であると思う。もっと正確に言うと、人前で円滑に言葉を話せない。独り言では吃音は出ない。ちなみに、吃音が出ないことを「どもる」と言う。以下、どもると記述していく。

歌っているときや皆と一緒に声を出すときも、どもらない。一人で、人前で話すときだけどもるのである。僕の場合は、大勢の人の前になればなるほど吃音が酷くなる。最初の一音を出すのすらままならない。口をパクパクしている様は死にかけの魚のようである。

 

 この疾病のせいで散々苦しい目に遭ってきた。話す度に笑われ、真似され、影口を叩かれ、怒られ、咎められ。何か言われる度に、場を誤魔化すため薄ら笑いを浮かべた。今ではもう吃音について何か言われる度に、条件反射のようにこの笑みが出てくる。「すみません」という誰に何を謝罪するのかわからない言葉とともに。

小学校から中学1年の頃までは、人前で発表した際にどもると夜にそのことを思い出して泣いていた。何故自分だけこのような目に遭うのかさっぱりわからなかった。中学の2年くらいにもなると、もはや感情は動かなくなっていった。誰に何を言われようと「ごめん」「すいません」と笑みとともに頭を下げていた。この頃に初めての彼女が出来たのだが、こんな人間のどこを好きになったのかさっぱりわからない。

ちょうど彼女が出来た頃、自殺願望も沸いていた。生憎リストカットや飛び降りなどをする勇気が無かったので実行に移すことは無かったが、常に死にたいと思っていた。この頃に吃音が不治だと自覚したからである。

 

 小学校の終わりくらいに吃音という言葉を知った。自身の足枷に名前のついた瞬間は、出口が見えた心地であった。他にも自分と同じような人間がいることを知ったからである。その後は母親と病院に何度か通った。何回行っても結果は変わらなかった。不思議に思って当時やっと使えるようになったWebで調べてみると、不治と書かれていた。ぼくは病院に通うのをやめた。

不治とわかってからも、何とか治そうと努めた。ある本には「抑揚をつけると良い」と書かれていた。とあるサイトには「腹式呼吸をするといい」とも書かれていた。また他の本には「リズムをつけると良い」との記述もあった。調べて試してを繰り返し、吃音を治そうとした。結果はもちろん駄目だった。リズムをつけて話そうとしたときなんかは「何それ頭大丈夫?」とも言われた。もっともなお言葉である。急にミュージカルが始まれば誰でもそんな反応をする。

あらゆる方法を試し、挫折を味わった。本当に不治なんだと自覚してからはもう話すのが苦痛でしかなかった。友人たちと言葉を交わすことは人並みにあったと思うが、楽しかったかと言われると微妙である。自分の気持ちを言葉にできたことなんてそうそう無かったのだから。

 

 吃音者は自身の吃音を隠そうとする。別にバレても何でもないというか、もうバレていてもひたすら隠そうとする。傍から見ると「頭かくして尻隠さず」なのだが、吃音者はDNAにそれが刻まれているかのように、吃音を見せようとしない。笑われ、蔑まれるのを恐れて。本当に哀れである。

隠そうとするのに最も使われる方法として「置き換え」というものがある。これは単純にどもりそうな言葉を置き換え、どもらない言葉で話す方法である。成長すると語彙が増えていくので、この置き換えによって、一見するとどもっているように見えない吃音者も出てくる。ぼくもよくこの方法を使って友人と話していた。

そのため自分の気持ちよりも、どもらない方を優先して話すようになる。時にはどもらないように、自分の気持ちとは反対のことを言うこともあった。店の予約も、自分の苗字が言えないこともあったので、偽名を名乗ることもあった。もはや詐欺師である。ぼくの話す言葉には、ぼくの感情というものは乗っていなかった。

友人とのメールの文面やTwitterの呟きも、後々エピソードトークとして話すこともあるので言い易い言葉を選んで打っていた。事実を捻じ曲げてでも吃音を隠したかった。もう笑われたくない。そんな深層心理があるのだろう。吃音が出てしまったときの、周囲の人の何とも言えない表情を見るのは心に刺さる。

 

 進路も当然狭められた。もともと金が沢山もらえる職業に就きたかった。それこそ、自分の力で給料が上がり出世もできる営業職になりたかった。しかしそんなもの土台無理な話である。自分の名前すら満足に言えないのだから。人と話さなくて良さそうという理由で、研究者になろうと思った。そのために理系を選んだ。

進学先も自己紹介で言い易い名前の高校、大学を選んだ。中学の自己紹介で、出身小学校を言うときに酷くどもったからである。地元には灘、開成などのレベルに近い高校があるのだが、断念した。高校名が言えないから。大学の学部も、就活を見越して言い易さだけで選んだ。我ながら馬鹿らしい進路の決め方である。

唯一吃音に左右されずに選んだものは妻である。妻の名前を言うときは毎回どもるのだが、こればかりは吃音に縛られたくは無かった。妻がまだ彼女だった時代、ぼくは他の友人に話すのと同じように、置き換えで流暢に話していた。しかしいつまでも虚言で接するのは辛かったので、カミングアウトした。彼女はそれを受け入れてくれた。

それからはどもっても良いので自分の気持ちで、自分の言葉で話すようになった。幼稚園児の頃ぶりに素で話せていた気がする。なんとも幸福な時間であった。やがて娘が生まれ、もう未練も無くなってしまった。自分の遺伝子を持った人間がこの世で生きていくのだから。

 

 吃音者には「置き換え」の他にも独自の手法で吃音を隠そうとするらしい。ぼくの独自の手法は「機械的に話す」ことである。抑揚をほとんど無くし、棒読みに近い発声で話すことで吃音を隠そうとしていた。友人やネットで通話する知人には「感情が無い」「サイコパス」などと揶揄されていた。言われてみればそんな気もする。ぼくが話す言葉には、感情などこもっていなかったのかもしれない。

そんなこんなで吃音に立ち向かってきたわけだが、もういい加減嫌気が差していた。入社してからの研修では、グループワークや全体発表など人前で話す機会が数多く用意されていた。グループワークでは自己紹介の度にどもり、全体発表の際には当てられないかびくびく怯えながら時が過ぎるのを待っていた。

実家の両親にも話したが、返ってきたのはいつも言われてきた言葉と同じ「乗り越えろ」である。母親は色んな事例を紹介してきて「せっかく掴んだやりたい仕事でしょ?(紹介した事例の人たちみたいに)もうちょっと頑張ってみたら?」と言ってきた。ハハハ、ピントがずれている。ぼくは別に研究職になりたくてなったわけではない。人と話さなくて良さそうだからなったのだ。研修によると、企業の研究職は発表の連続みたいだぞ。そんなところにしがみつきたい訳無いじゃないか。

 

 人と接することは早々に諦めて、自然に向き合えば良かった。田舎で農業でもやりたいと思っていたが、もうそんな気力も無い。ぼくの名前は「土を耕す」と書くが、初めから自然と触れ合う方に進めば良かったのかもしれない。後悔先に立たずである。

ぼくを拾ってくれた優しい御社の名誉のために言っておくと、入社以降の出来事は最後の一押しに過ぎない。溜まりに溜まった我慢のダムが、研修の雰囲気で決壊しただけである。研修中に酷い扱いを受けたり、責められたりしたわけではない。ゼリア新薬のようなことがあったわけではないと明記しておく。

 

 もういい加減疲れてしまった。人事に相談すればそれなりの配慮を受けるだろうし、少しは働きやすくなるだろう。でももういいのだ。そこまでしてもらって嬉しいのか、自分らしい人生が歩めるのか甚だ疑問である。

ぼくは普通に話せる人がたまらなく羨ましい。普通の人たちが人間関係や能力不足などで悩んでいると、コミュニケーションで解決できるじゃないかと思ってしまう。そしてついつい攻撃してしまう。羨ましいと同時に全ての健常者が憎かった。そういった背景もあり、兄をついに好きになることができなかった。何故話せるのに引きこもっているのか、不思議でならない。

いつも「吃音が無ければどんな人生だったのだろう」と考えていた。答えは出ていないし、一生答えは出ないだろう。一生が残りどのくらいかもわからないし、自分で時計の針を進めるかもしれない。

娘に吃音症が受け継がれないのが唯一の救いである。ある研究によると、吃音症に遺伝性は確認できなかったという。本当に良かった。その通りであって欲しいし、娘には自分の意思以外のものに左右されること無く人生を謳歌してほしい。酷く歪んだ人生を歩くのはぼくくらいで十分だ。こんなことを言う資格は無いかもしれないが、幸せになってほしい。

安息

 北海道から就職のために上京した友人がいる。今日はその友人と半日を過ごした。1週間ぶりの休みである。羽を存分に伸ばせた、実に良い休日だった。

ランチ、ショッピング、スウィーツなどと地元では妻以外とは絶対に行かないコースを友人と回った。東京はこのコース以外イベントに行くしか選択肢が無い気がする。

 

 ランチは雰囲気良さ気の定食屋でビーフシチューハンバーグを食べた。「牛肉に牛肉入りのソースをかけるのか」と困惑しながら頼んだのだが、ビーフシチューの肉は柔らく大変美味しかった。当たりのお店であった。

友人がリュックタイプのビジネスバッグが欲しいと言い出したので、バッグ探しの旅に出た。しかしこの友人、方向音痴でナビを満足に使えない。初めての町なのにぼくが道案内をするハメになった。しっかりしてくれ。

何軒か回った結果、友人のお眼鏡にかなうビジネスバッグを見つけた。しかしそれは予算の倍くらいする商品であった。調子の良い人物だが予算の倍の値段は流石に引けたのか、一度購入を見送り別の店にバッグを探しに行った。結局、どの店を巡っても先のバッグが尾を引き、欲望に従い予算の倍の値段のバッグを購入していた。

その後は和のスウィーツショップに行き、人生初のあんみつを食べた。あんこが上品な味で、まろやかな舌触りであった。初めて食べたあんみつがこれだと、もう他のあんみつは食べられませんよ。友人はそう言っていた。ぼくもそう思う。少なくとも頭には「あんみつは1000円するお菓子」としてインプットされた。

スウィーツを食べた後は、「同期飲みがある」と言って友人は去っていった。彼はぼくよりも少食で、もうお腹はぱんぱんのはずである。付き合いというのは大変なものだ。

ぼくはと言うと、音楽が恋しくなったのでネットカフェに来て、Youtubeで音楽を聴いていた。寮にwi-fiが飛んでいないのは本当に辛い。刑務所か。

 

 安息の日はもう一日ある。今日は穏やかな気持ちで眠れそうだ。もっとも、明日はその先の準備に追われゆっくりできそうも無いが。

大人たちが「一日一日を大切に」と散々言っていたのも今ならわかる。楽しい一日はあまりにも短い。妻と過ごした5ヶ月は一瞬で終わった気がする。娘が生まれてからの数ヶ月、ソシャゲをやっていた時間は今考えると実に無駄な時間であった。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。幸福な時間は何事にも変えがたい。

沸点

 技術系で採用された同期での飲み会に参加してきた。総勢70人ほどの人数が参加していた。オタクもいっぱいいるもんだ。

中には飲み会に参加したことが無いという猛者もいた。風貌が見るからにオタクだったので、同じテーブルの陽キャにオモチャにされていた。

酒を勝手に頼んだり、「歌上手いんでしょ?社歌を歌ってよ!」とわけのわからないフリをしたりもう無茶苦茶であった。そのオタクは真面目なので、全部引き受けていて痛々しかった。向かいに座っていた女の子も、気の毒そうな顔をしていた。このオタクの怒りの沸点が謎であった。



 怒りの沸点は人それぞれであるが、多くはいきなり沸点を越すことは無い。じわじわと怒りの温度が上昇し、沸点に近づいていく。

大学在学中、温厚な級友が講義中に突然隣の学生の椅子を蹴った。理由を聞くと、講義中寝ていてもたれかかってきたからだそうだった。それを聞いた別の級友が「それだけで怒るのか」とポツリと呟いていた。彼には「それだけじゃないよ」と言っておいた。

怒りの温度が沸点間際になると、ほんの些細な出来事でも沸点に達する。コップに満杯の水を注いだ後、一滴の水を垂らしたら水が溢れるようなイメージである。何が最後の一撃になるかはわからない。

怒り以外に、我慢もこのイメージが当てはまる。ずっと耐えてきたものが、いきなり決壊することもある。継続が「美」という風潮にはやはり疑問を呈したい。我慢を継続したが故に、心が壊れるかもしれないから。