紆余曲折

いろいろあった。

シャドーボクシング

 

「◎▲※§¶〇ΛΦ×」

「荒れているね、どうしたんだい」

「アイツ酷いんだよ!○○って言われたし△△してくるし××が...」

「HAHAHA、多分そいつ今ごろパフェとか食ってるよ」

 

 人を嫌いになったり、逆に人から嫌われたりした経験はあるだろうか。ぼくは人間に対しては瞬間的に嫌いになることはあるが、継続的に嫌いになることはない。「この人と過ごす時間は嫌いだな」と数回感じた場合に、頭の中から存在を消すよう努めている。というか多くの人はそうしているのではなかろうか。

 継続的な「嫌い」はエネルギーを使う上、脳のリソースも割かれるのでものすごく不毛である。10代前半は「嫌い」を制御できなかった。家に帰ってまで人を嫌っていた。具体的にはブログや当時流行していた「リアルタイム」という一人版Twitterみたいなものに色々書いていた。思春期だなぁ。

 現在は人と会ったとき、好きな人・どうでもいい人に分類するようにしている。数回会った段階で篩にかけ、好きな人との交流にはお金と時間を出し惜しみしないというルールを設けている。好きな人・どうでもいい人の分類間で行き来は無く、好きな人がどうでもいい人になったことは一度も無い。逆も然り。

 

 人から嫌われる、というのは昔ほどよくわからなくなった。10代は自分もそうだが周りの人間も感情のコントロールが下手なので、「嫌われている」という感覚はわかっていた。しかし20代になると周りの人間も大人になった上、多くの人は感情を上手にコントロールしているので「嫌われている」感覚をほとんど感じない。本当に嫌われていないのかもしれないが。

 ぼくの目から見て感情のコントロールが下手な人間は大体社会的地位が低い傾向にある。50超えて平社員とか、貧困層とか。人に怒ったり涙を見せたりする人は上には上がれないよなぁ。

 

 大学の友人の1人が継続的に人を嫌うタイプだった。生憎ぼくはその友人が嫌っている人とも仲が良かったので、大規模な飲み会をする時はどちらかしか呼べなかった。毎回「今日は鈴木(仮名)の化石を取ったよ」とポケモンの化石ネタを言っていた記憶がある。

 嫌われている方には事情を話して気を使ってもらっていたが、「私は気にしてないけどなぁ」と言っていた。冒頭の会話のように嫌っている人にとっては大問題かもしれないが、嫌われている方にとっては小事である。『多分そいつ今ごろパフェとか食ってるよ』という漫画の作者はこう述べている。

「怒りを抱えているときって、自分の頭の中では相手と戦っているイメージなのですが、実際はシャドーボクシングで自分だけが頭の中で架空の相手と戦っています。

しかも、自分にとって一番嫌な姿で思い出すので、傷つけられた言葉を何度も思い出したり、本来そんなに強くない相手だったのに、ものすごい強敵になっていたり。そして大抵は、実際よりも嫌なやつになっています。

そうやって怒りをため込むうちに、仕返ししたい気持ちになったり、同じ目にあわせたいと思ったり、罰が当たればいいのに……とか、こうなるともう呪いです。」

 

 人を嫌いになるのは自由だが、巻き込みは御免こうむりたい。シャドーボクシングをしている人の中には「一緒に殴ってくれよ」という人も少なくない。その人は君の頭の中にしか存在しないんだよ。

 

別記。

例の10万円の炊飯器が届いた。次回、レビューする(と思う)。