紆余曲折

いろいろあった。

幕間①

 普通の人間を目指した物語は終わるとして、吃音を受け入れることに努めてみようと自分の中で折り合いをつけた。その決断に丸2日くらいかかった。

ぼくが自分探しに放浪している間、なんと警察沙汰になっていたらしい。最後に会った北海道の友人から「事情聴取されましたよ」とダイレクトメールを受け、思わず笑ってしまった。この国は2日人間がいなくなるだけで事件になるのか。

中学の友人にも連絡がいっていたらしく、なんだか申し訳なくなってしまった。1週間ほどで実家に戻ると書置きすれば良かった。妻からは「遺書が見つかったのよ」と言われたが、それは捨てたはずである。マンションの外部のゴミ箱からわざわざ袋を漁ったのだろうか。申し訳なさ過ぎる。

 

 さて、この2日何をしていたかというと、専ら散歩していた。行く当ても無かったので海でも見ようと心に決めて、海に向かって歩いていた。考えをまとめたかったので途中で手帳を買い、波のさざめきを聞きながら心の声を文章に直していた。

中途半端に頭が良かったせいで地元のエリートコースを歩むことになったのが、悲しみの始まりだった。組織のブレーンとなる人間には、必ず説明責任が付きまとう。研究やプロジェクト、コンサルティング。高度な技術や思考を要したものには、必ずそれを考えた人間の説明が必要である。そして説明とは人前でのプレゼンテーションであり、我々吃音者が最も苦手とするものである。

ぼくは進学した先にそれが待ち構えていることを頭の中では理解していた。そしてきっと発表が全く成功しないことも。しかし人間とは悲しい生き物で、一縷の望みにすがりながら生きているものである。「小児吃音者の7割は大人になれば治る」というある本の甘言を信じて、ぼくは進学コースを歩んでいった。

結果はご存知の通り治らなかった。治らない3割の中に組み込まれてしまったのである。それでも普通の人間のように生きていきたかった。学部4年のときに就活するか院へ進学するかの選択肢があったのだが、文系就職はあまりにも面接回数が多かったので院に逃げた。100%失敗すると思っていた就活も、研究のプレゼンだけで、しかも面接官はたったの2人相手だったので成功してしまった。しかも2社目で。

とりあえず大企業の雰囲気だけでも見てみようということで、内定を承諾した。ここで蹴っていたら一生後悔するかもしれないという思いもあった。何故ならぼくが大企業に採用されるのは、新卒の切符が無い限り不可能だからである。

 

 失踪する前日、企業側には事情を説明して退職を申し出たのだが断られてしまった。「こっちで君にあった職場を用意する」と言われ、さらには「研修が嫌なら行かないでいいように取り計らう」とも言われた。2ちゃんねるブラック企業ランキングに載っていた企業なのだが、どう考えてもホワイト企業である。

吃音を隠して入社した申し訳なさと、親切にされることに慣れてなかったので頭はこんがらがっていた。とにかくその場から逃げるために「明日は出社します」と嘘をついてしまった。相談に乗ってくれた担当の人には本当に申し訳ないことをした。土下座したい。

多分もう御社はぼくの母校から推薦で募集することは無いだろう。だが、それに関しては申し訳ないとも思わない。推薦者を審査しないのが悪いのだ。吃音者に推薦なんてあげるものでは無い。

内定が決まった頃、吃音者のぼくでも就活は乗り切ったのに、無い内定の人たちは何をしているんだろうと思ったことがあった。本当に何をしていたんだ。その話す能力を分けてほしいくらいだった。ぼくの研究室同期、お前だお前。

 

 今ブログを書いている最中に知ったのだが、捜索願が出ていたらしく、ぼくの想像以上に大事になっていた。何故だ。書置きなんてするものじゃなかったのか。失踪マニュアルを警察が出版してくれればいいのに。

捜索される側としては、そんなに探されたと聞くとめちゃくちゃ申し訳なかった。メンヘラなら喜んでこの騒動を受け入れるのだろうが、ぼくには無理だ。各方面に土下座したい。とりあえず、友人たちには粗品を送ろう。TENGAでいいかな。

ちなみに放浪生活はなかなかぼくの性に合っていなかった。夜はネカフェに泊まったのだが、身長が高いので満足に足を伸ばせなかった。貧乏性なので飯を食うのも節約して牛丼ばかり食べていた。しかも並盛。その上、結局言い易いメニューを注文していた。吃音を受け入れるとはなんだったのか。やれやれ、次の物語も長く続きそうだ。

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