紆余曲折

いろいろあった。

学生

 学生最後の日が終わった。小学生から数えると、実に18年もの期間を学生として過ごした。随分と勉強したものだ。最後の2年はExtra Turnなわけだが。

小中高大のそれぞれの時代で、特に後悔はしていない。どの期間も満足のいく時間を過ごした。中学の頃は小学よりも楽しいと感じていたし、高校でも高校が一番楽しかった。今では大学院が一番楽しかったと思っている。大学院への進学を考えている人は、お金に余裕があるのであれば行った方がいい。断言できる。

小さな後悔としては、高校と大学の学部時代で彼女が欲しかったくらいである。高校では特定の人から毎年バレンタインチョコと誕生日プレゼントを貰うという青春があったが、学部時代では全く女っ気が無かった。理系だから仕方ない気はするが、もうちょっと交流の幅を広めても良かったように思う。事実、Twitterを通してネットの人と交流するようになってからは、1年も経たずに彼女ができた。今ではその女性は妻である。

交友関係もなかなか良い人たちと巡り会えた。小学校の人脈は全滅したが、中学の友人とは頻繁に交流している。高校の友人も親切で愉快な人たちが多く、大学の友人は何より思考回路が似た人が多いので大変居心地が良い。進学するたびに周りの学力の平均値が上がっていったので、こうなるのも頷ける。関係が続いている中学の友人の半数は、ぼくより頭が良い。性格がポンコツなのも多いが。

 

 小学校の記憶はあまり無い。勉強が簡単だったのと、やたら褒められた記憶が残っている。小学生向けのIQ診断で135をマークしていたので、そんなもんだろう。ちなみにIQは年と共に変化するらしいので、おそらく今はそんなに無い。精々110くらいじゃないかな。

運動はからきしだったが、ピアノが弾けるという長所のおかげでアイデンティティは保てていた。卒業式には伴奏もした。男女共に友達がいて、それなりに充実した小学生時代だったと思う。一応バレンタインも毎年貰えていた。

 

 中学校は受験して、国立の中学校へ通った。ここで後にぼくに多大な影響を与えることになる友人と出会う。彼とは一度もクラスが同じになったことは無いが、塾が一緒だったためクラスメイトよりも仲良くなった。今でも交流がある。これからも付き合いは続くだろう。

中学は何といっても周りのレベルが高かった。医者志望の人間が何人もいたし、アイデンティティのピアノにおいてぼくに勝る人が2桁数いた。軽いカルチャーショックである。学力とピアノが取り柄だったので、持たざる者に成り下がってしまった。入学して3ヵ月は打ちひしがれていた気がする。

そんな背景もあり、田舎の小学校で学力無双していた6年間とは違い、懸命に勉強した。幸い頭は悪くなかったので、成績は中の上~上の下くらいをキープしていた。内部進学者がいたから助かった面もある。彼らの多くは成績底辺を彷徨っていた。

うちの中学における内部進学者は日本人の鑑であった。入学時に既にコミュニティを作っていた彼らは、交友をあまり広げることなく内輪で固まっていた。生徒の半数ほどは内部生だったため、彼らのグループは常に過半数を超えていた。そのため、学校行事の中心は内部生だったし、所謂スクールカースト上位もそうだった。それが原因なのだろう、最終的な仲良しグループは、内部生同士、外部生同士で構成されていたように思える。

中学2年の冬になると、式典ごとに校歌の伴奏をさせられる役目を担った。ピアノが上手い奴らが軒並み生徒会に入ったからである。「伴奏者と生徒会役員を兼任できない」というのは、今考えるとおかしなルールである。この名残で卒業式も伴奏した。

伴奏を任された時期くらいに初めての彼女ができた。9ヵ月くらいで別れたが、なかなか貴重な体験だった。当時は年がら年中恋人向けのイベントが開催されている気がしたので、「恋愛にはお金がかかる」というマイナスな感想を持った。

内部進学の腐敗と、甘酸っぱい青春、そして知能指数が近い友人。地元の中学では得ることができなかったモノを得た。特に友人には変わり者が多く、虫愛好家や話し上手の物理オタク、プロ級のベーシストなど陽から陰まで様々である。月並みな表現だが、学友こそが学校で得ることのできる財産である。

 

 高校は地元公立では最難関の高校へ進学した。判定は中学3年間ずっとA判定だったけど。ちなみに同じ高校を受けた仲が良い友人は、内申点の関係で落ちた。日頃の行いの大切さを入学早々学んだ。

高校の記憶は部活が大半を占めている。ユーモアに溢れ、男気のある1個上の部長からは多大な影響を受けた。同期たちも優秀な人間が多く、電通博報堂内定マンや公認会計士など、超えることができないであろう有能マンたちである。

勉学の方は部活に傾倒していたせいで、みるみるうちに下がっていった。初めは上位20%には入っていたが、2年の終わりくらいには下位20%くらいになっていた。数字でいうと320人中260位くらいである。酷いもんだ。

まともに生きたかったので、3年で部活が終わってからは真面目に勉強した。エンジンがかかったのは8月くらいからだろうか。余暇を全て放棄し、受験勉強に取り組んだ甲斐あってなんとか現役で旧帝大に滑り込んだ。勉強は1年からコツコツやるものである。判定は最後までE判定だったし。

 

 大学は理系というのもあって、1・2年の間は授業に時間を取られていた。当時は自由に過ごしていたつもりだったが、時間が空き始める3年の終わりくらいには「よくあんなに授業取ってたな」と回想していた。

サークルは空気に馴染めなかったので、1年で辞めた。高校が運動部で先輩が厳しかったのに比べ、緩い雰囲気でフワフワした先輩ばかりだったのが大きな原因である。賛否両論あると思うが、先輩は厳しいくらいが丁度いい。先輩との友達みたいな関係はどうも苦手だった。

バイト代は専ら旅行と美食に使っていた。焼き肉やしゃぶしゃぶ、海の幸を堪能した。旅行は大学近隣の県は全て制覇し、大阪大学に進学した友人の元へ長期休暇のたびに遊びに行っていた。もうこんなに遊びまわれる時間は無いと考えると、少し悲しい。

 

 大学院は研究・恋愛・就活・結婚・出産・育児とビッグイベントが目白押しだった。充実度でいけば間違いなく一番だろう。とんだExtra Turnだ。

大学生という日本人の人生において最も自由な時間を存分に楽しんだ。もう1年大学生(院生)をやれと言われてもそれはそれで困る。そう考えるともう社会人になるのも悪くない。趣味の一つである旅行は、国内と言わずに国外も行きたい。そのためにはお金が必要だし、社会に出てお金を稼ぐのは適した行動と言えよう。なんだかんだで年相応に心も成長している気がする。

目下の目標は社会に適合することである。本当の意味での社会人に早くなりたいものだ。自分の言動にちゃんと責任を取れるような、そんな人間に。

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