紆余曲折

いろいろあった。

結婚

 今朝は寝起きにインスタントラーメンを食べた。食パンも白米も無かったからである。主食は切らしてはならない。

朝食は毎日妻が用意してくれる。朝食は基本的にベーコンエッグとスライスチーズを乗せたトーストが出てくる。機嫌が良い日、食材が揃っている日はなかなか凝ったものが出てくる。昨日は朝からチーズリゾットを食べた。ホテルの朝食みたいだった。

妻は料理が上手である。10代の頃はパティシエを目指していた時期もあったらしい。趣味はお菓子作りで、時間があるときはたまにおやつを作ってくれる。秋にはスイートポテトを作ってもらった。美味い料理を食べさせてもらうたびに、良い人と結婚できたと感じている。

 

 ぼくたち夫婦はデキ婚である。エンジェル婚、授かり婚といったキラキラした名称を使う気にはなれない。戒めのためにも、他人に動機を言う際はデキ婚と述べている。

子供は既に生まれており、生後2か月である。21日に生後3ヵ月になる。最近表情や声が出てきて大変可愛らしい。両親は初孫の前ではデレデレしている。兄を除けば非常に暖かい家になっていると言えよう。

妻の妊娠が発覚したのは昨年の4月末である。ぼくが後の内定先の1次面接のために、東京を訪れていた時だ。「生理が来ない」と言われたのが面接前日、「検査薬を使ってみたら陽性が出た」と言われたのが面接の日の朝である。連絡を受けた時には、「妊娠検査薬 的中率」で検索した。なんと情けない。

心はブレブレだったが回答はブレていなかったのだろう、無事に面接を終え、次の日、地元福岡に帰った。帰りの飛行機では面接の合否など気にならず、親になんと言うかイメトレしていた。両親は両者とも公務員で実直な方々である。勘当されることも視野に入れていた。

そんなぼくの予想を良い方向で裏切り、親は特に怒りを示さなかった。「君はどうしたいんだ」、そういった言葉を投げかけられた。24年に渡り積み重ねてきた信頼を感じつつ、その晩は親の言葉を反芻した。

子供は好きではない。あれは乱数の塊にしか見えない。しかし、堕胎すれば今の彼女と別れることになる。交際中に既に結婚を考えていたため、離別は考えられなかった。幸い、親との話し合いで経済的サポートは全面的にしてくれるとのことなので、金の心配はしなくてよかった。GWに入る直前、結婚を決意した。彼女から今後のことをどうするか催促されていたので、その晩のうちに意向を伝えた。どういった言葉が返ってきたかは全く覚えていない。

 

 現実は辛く厳しい。1つ問題を解決しても、無限に問題は出てくる。次なる問題は妻の両親への挨拶である。どうやら向こうの父親は怒っているらしかった。それだけならまだ良いが、結婚にも反対らしい。怒りはごもっともであるが、結婚反対の方は正直会うだけではどうにもならなさそうなので、妻に説得を頼んだ。後日返ってきた言葉は「無理だった」である。娘の言葉が通らないなら、ぼくの言葉なんて通るわけないじゃないか。

挨拶のために妻の地元大阪へ。実家で話すのは何故かNGが出たので、飲食店で挨拶することとなった。待ち合わせの場所で妻と共に彼女の両親を待った。待つこと10分、上背のある初老の男性と小柄で小太りの女性がぼくたちの対面に座った。

妻から義両親の生い立ちと性格は聞いていた。来歴に関しては、ぼくとは180度違う道を歩んできたようだ。「あなたと性格は合わない」、そう妻は断言していた。10分も同席すると、その言葉の意味を理解した。

ぼくが伝えることは、「結婚したいこと」と「こちらの両親の経済的サポートがあるから就職するまでも子供は育てられること」の2点である。それ以外に言うことは無い。定職に就いてないような人間が軽々しく「幸せにする」なんて言えるか。

2点を伝えた後に義父からは「それだけか」と問われた。おそらく義父は「必ず幸せにします」といった熱意ある言葉を待っていたのだろう。生憎ぼくは人を幸せにする能力なんてない。出来ないことを言うのは温厚なぼくの指導教官でも怒る。「それだけです、結婚させてください」そう返した。

その後は「熱意が無い」「期待外れ」「軽率」などといった言葉を浴びせられた。確かにぼくにも非はあるが、娘が連れてきた結婚相手にここまで言うのは凄いと感心しながら聞いていた。途中「離婚の原因の1位を知っているか」と問われたので、「性格の不一致でしょうか」と答えた。「考えが甘いんや、そんなん違う」とため息混じりに言われた。後に調べてみると、どのコラムサイトでも1位は性格の不一致である。この件についての義父の発言には未だに納得できていない。

子育ての苦労や社会の厳しさといった有難い話を30分ほど聞いた後、結婚に賛成している義母が「就職決まったらまた話そうな」とこの場を締めてくれた。どうやら義父の反対理由は、就職が決まっていないことらしかった。文脈を読むのには自信があるのだが、彼の話からそれを読み取ることはできなかった。義父もぼくも正常な精神ではなかったのかもしれない。

飲食店を出てそのまま新大阪駅に向かった。御社の最終面接を受けに行くためである。大阪から東京に向かう途中、「離婚 原因」で検索していた。

イージーな最終面接を終え、内々内定を貰った頃、妻がうちの両親に挨拶に来た。こちらは初対面ではなく、以前に顔合わせは済ませているのでただの意思確認だけであった。大阪での会合とは違い、佐賀牛に舌鼓を打ちつつ穏やかに歓談した。

内々内定が内々定に変わった6月、両家顔合わせを大阪で行った。実父のコミュニケーション能力が発揮された会合であった。終始会話のペースを掴み、小粋なジョークを交えつつ義父に気持ちよく話をさせていた。義父の様子も1ヵ月前とは大違いである。この顔合わせの前に、妻から「まだ父親が結婚に反対している」と言われていたが、なんだったのか。会の最後に義父から快諾をいただいた。本当にそれでいいのか。

その後書類を揃え7月7日、婚姻届を役所に提出した。ただ書類を提出しただけで、同居はしていない。同居は11月からである。それまで妻は身重の体で仕事を続けた。一方ぼくは修士研究を進めつつ、スプラトゥーン2を楽しんでいた。

 

 結局、結婚の決め手は妻が結婚を希望していたことだろう。婚姻は両者の合意があれば成立する。それでも実の両親に祝福してもらいたかった妻の熱意が義父の心を動かしたのだろう。妻には大変感謝している。

妊娠発覚から婚姻届を提出するまでのあの2ヶ月は心が擦り減っていた。何故か涙が出てきた夜もあった。人は忘れる生き物である。特に悲しい記憶や経験は、防衛本能で忘却されていく。いずれはこの記憶も風化されていくのだろうか。妻への感謝の気持ちくらいは覚えていたいものである。