紆余曲折

いろいろあった。

兄弟

 リビングの掃除をした。埃が多いのが原因かわからないが、家族の咳が増えたように感じたので隅々まで掃除した。久しぶりに濡れ雑巾で床を拭いた。掃除をするのはなかなか気持ちがいい。

掃除の最中、2階から咳音が聞こえた。両親は仕事で出払っているので兄がいるのである。昼間から部屋に引きこもって何してるんだ。やれやれ。

 

 兄は2歳年上で、我々は二人兄弟である。不出来な兄で、何をするにしても要領が悪い。頭も良くはなく、兄と親の口論を聞く機会は何回もあったのだが、残念ながら論理性の欠片も無い供述をしており、親の怒りの炎に油を注いでいるだけであった。

今年の2月、彼は理学療法士の資格試験を受けた。自己採点の結果はボーダー以下。試験に合格することは叶わなかった。

現在彼は空白の期間に身を置いている。来年また資格試験を受験するようなので、受験勉強のために定職に就くことはできない。かと言って何もしないわけにもいかないので、通っている専門学校からバイトの斡旋を受けるそうだ。その斡旋をしてくれるのが4月から。そのため、彼にとってこの3月は何もするべきことのない期間なのである。

単発や日雇いのバイトをすればいいのだろうが、彼にそのような行動力は無い。今まで自力でバイトを探したことなど無いのだから。

バイトとは疎遠の彼はいつも母親に金を貰っている。髪を切りに行くのにも、専門学校の試験の打ち上げに行くのにも。もう26歳なのに、なんて悲しい人間なんだ。同じ血が流れているとは到底思えない。

 

 ぼくと兄の教育環境は小学校卒業まで同じである。同じ両親の下に生まれ、同じ家で育ち、同じ小学校に通い、同じ習い事をした。違う道を歩み始めたのは中学からである。ぼくは中学受験をした。彼は多くの人間と同じように公立の中学に行った。教育の質が違うのは言うまでもない。

高校受験に兄は失敗した。それでも第2志望で受かった高校は地元では良いとされている高校で、悪くない進学校である。彼は3年後、その高校の指定校推薦枠を使い大学に進学した。受験勉強はしていない。大学受験という一つの大きな壁を努力せずに乗り越えたのは、彼にとってマイナスだったように思える。

兄は大学を2回留年してその後中退した。彼が22歳の時のことである。理由は勉強についていけなくなったからだそうだ。決して学外活動に注力していたからではない。ずっと引きこもってゲームをしていた。ただ単に自由になって自分の時間を管理できなくなっただけである。

その後は理学療法士の専門学校に入学、今年で入学4年目、前述の試験を終え今に至る。ぼくには失敗と逃げを繰り返した人生に見える。

 

 兄への親の説教は何度も繰り広げられた。ぼくの受験期にもしていた。時には怒鳴り声も聞こえてきた。なんとも迷惑な話である。

しかしそれも彼が20歳くらいまでで、それ以降は親も呆れて大きな声を出すことが無くなった。怒られるうちが華である。その代わりにため息は増えていたが。

ぼくが成人した頃、つまりは兄が中退を決意した頃、親から彼女の有無を聞かれたり「子供は早いうちに儲けた方が良い」などといった言葉を掛けられたりした。おそらく弟に初孫の夢を託し始めたのだろう。兄が家庭における「兄」としての役割を失った瞬間である。

昨日スーツを買いに行った時、父親のスーツに関するエピソードトークや靴の磨き方を語ってもらった。この話は一生兄に語られないと考えると一抹の同情心が湧いてきた。

 

 兄はどこで道を間違えたのだろうか。彼の話を親からたまに聞く度にそう思う。

高校と大学には行かせてもらった。専門学校にも今行かせてもらっている。十分過ぎる親のサポートである。幼少期の教育にも何の問題も無い。良い友人、良い恩師との出会いが無かったのだろうか。

母親は兄の失敗を目にするたび、ぼくに「どこで間違えたんだろう」と聞いてくる。ぼくも知りたい。ちなみに母親は兄の失敗の要因をゲームだと思っており、ゲームを目の敵にしている。弟はゲームで結婚相手を探してきたのだが。

しかし母親の言うこともわからなくもない。兄はぼくの目から見てもゲームをやり過ぎていた。他に何か熱中できるものは無かったのだろうか。彼の半生を表面的にしか知らないので、兄について思想を巡らすのは不毛な気がする。

 

 人は他人との関係の中で自己を成長させていく。他人と関係を持つことの無い引きこもりは成長を放棄しており、心は幼いままである。

家族ぐるみで付き合いのある親戚家族がいる。交流は深く、家によく遊びに来るので親戚は兄とよく話す。その親戚は「少しばかり精神が幼い」と兄を評していた。

26歳にして備わっているべき問題発見能力がほとんど無い。あらゆる行動を自発的に全くやらない。家事も当然しないので、生活能力的にも一家のお荷物である。

以前、ぼくは兄に家事をやれと言っていた。返ってくる言葉は「明日からやる」である。子供のその場しのぎの方法と同じである。あれから数年が経った。結局兄が家の仕事をやったことは無い。家事をしろと言ってもまた同じ言葉が返ってくるのだろう。彼の心の時計は止まったままである。